路上のエレガンス―。1921年にメロージによってデザインされたRLは、バランサーの付いた6気筒OHVエンジンとフロントブレーキを装備し、ブレーキング時の振動を抑えたモデルである。ノーマルとスポーツのふたつのバージョンが生産された。アルファ ロメオも、宣伝効果を狙って、レースに新しいモデルを使おうと考えていた。生産ラインのノーマルバージョンか、特別なチューニングバージョンを、ロードサーキット、ヒルクライムレース、耐久レース等、国内のレースに出場させようとしたのである。RLは各地で成功を収め、アルファ ロメオの商業的な成功を確実なものにした。1923、24年の「タルガ フローリオ」に参加するため、アルファ ロメオが特別に用意したモデルの1台は、平均時速178km/hを10kmにわたって記録。カンパリが達成したものだった。RLは世界中から注文が舞い込み、数々のバージョンが作られて、総生産台数は2,640台に達した。
RLの廉価版であるRMは、1923年に「パリ モーターショー」で発表された4気筒の2リッターカーである。多くのパーツはRLと同じものを使用していたが、評判となったRLとは価格面で大きな差があり、合計500台が製造された。RMは、23年に「第3回アルプス カップ」でレースデビュー。6つのステージ、約3,000kmを走破するレースの2リッタークラスで、4位完走を果たした。
無敵―。1923〜24年にヴィットリオ ヤーノによってデザインされたP2は、スーパーチャージャー搭載の8気筒エンジンとツインキャブレターを搭載した初めてのアルファ ロメオ車であった。数台のモデルが秘密裏にポルテーロ工場で準備された後、P2は24年の「第2回クレモナサーキット 200マイルレース」でデビューを果たし、人々を驚かせた。平均速度158km/hという衝撃的なスピードで優勝を飾り、10kmのタイムトライアルでは平均195km/hを叩き出したのである。P2が24年、25年の「国際グランプリ」に参加したことが「第1回世界グランプリ チャンピオンシップ」の優勝につながり、新たに月桂樹の冠のデザインがエンブレムに付け加えられた。20年代の「ベスト グランプリカー」の一台に数えられ、「アルファ ロメオ伝説」の礎を築いたP2は、計6台が作られた。うち現存する2台は、アレーゼにある「アルファ ロメオ博物館」で見ることができる。また、30年に生産された1台は、トリノの自動車博物館に保存されている。
軽量で、輝く「小型車」。ヴィットリオ ヤーノのデザインによる6C 1500は、アルファ ロメオにとって初めての中・小排気量のエンジンを搭載した量産モデルである。6気筒エンジンのバルブタイミングシステムは、シングルオーバーヘッドカムシャフト(SOHC)をベースにしていた。徹底した軽量化が図られた6C 1500は、大きなパワーを持ち、安定性とハンドリング性能にも優れていた。1925年の「ミラノ モーターショー」、続いてパリ、ロンドンで発表された6C 1500は、あらゆる面での先進性が高く評価され、市場でもレースでも大成功を収めた。この排気量のモデルは、27年から29年の間に合計1,075台が生産された。
1929年の「ローマ モーターショー」でデビューを果たした6C 1750は、 6C 1500 の排気量をアップしたモデルで、「Touring」「Gran Turismo」 「Grand Sport」の各バージョンが製造された。重量も構造も6C 1500と同じだったが、エンジンパワーがアップ(レース仕様のエンジンではさらに10〜15%アップされ、100psに達した)、トルクも大きく改善、加速も向上した。シャシー部品にも大きな改善が加えられ、量産モデルも特別仕様のレースバージョンも、安全性が著しく向上した。レースデビューは29年の「ミッレ ミリア」で、以後31年まであらゆるスポーツカテゴリーのレースで、その存在を大きく示すことになる。合計2,579台が生産された。