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1930-1940 | personalities 人物そしてドラマ
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1930-1940 ― 世界最速の自動車
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タツィオ ヌヴォラーリ(1892-1953)
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「空飛ぶマントヴァ人」
「過去、未来、将来にわたって、もっとも偉大なドライバー」―フェルディナント ポルシェタツィオ ヌヴォラーリは、小柄で、痩せており、一見か弱そうであるが、勇気、技術、勝利への執念というユニークな特性を持っていた。「私はあの痩せこけた男を大したことはないと思っていたが、レース中、私の強敵になるただ一人のレーサーかもしれない、と思うようになった」と、フェラーリは彼について語っている。彼の成績、アグレッシブで驚異的なレーシングスタイル、ヴァルツィとの競り合いは伝説となり、各地でレースファンの心を動かした。1930年にアルファ ロメオに加わり、 当然のように「ミッレ ミリア」「タルガ フローリオ」を制し、カンパリと組みモンツァの「イタリア グランプリ」で優勝。「スクデーリア フェラーリ」ではトップドライバーであった。ヌヴォラーリにとって32年はもっとも幸福な年だったに違いない。「空飛ぶマントヴァ人」は総合7回、彼のクラスで5回優勝し、紛れもないイタリアのチャンピオンとなって勝利に満ちたシーズンを送る。また国際ドライビングチャンピオンシップでも1位に入賞する。ヌヴォラーリの人気は、圧倒的だった。ガブリエレ ダヌンツィオは、彼に小さな金の亀(「一番速い人に一番遅い動物を」という意を込めて)をプレゼントし、ヌヴォラーリはそれを黄色のレーシングスーツにピン留めした。33年には「ル マン24時間」で優勝し、35年のニュルブルグリングのレースでは、メルセデスとアウトウニオンを接戦の末、打ち負かした。 |
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アキッレ ヴァルツィ(1904〜48年)
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「ガリアテの紳士」
「冷徹」で「精密」、しかも「速い」ドライバーであった。ヌヴォラーリの最大のライバルだったが、性格、ドライブスタイルともあのマントヴァ人とは、あらゆる点で異なっていた。1929年には、P2でイタリアの国内タイトルを獲得したが、「ミッレ ミリア」ではタイトルを失い、「タルガ フローリオ」での復讐を誓う。マセラティ、次にブガッティへと移籍するが、34年には再びアルファ ロメオに戻った。その後、ヴァルツィは「ミッレ ミリア」「トリポリ グランプリ」「タルガ フローリオ」「ペルー グランプリ」「ニース」で優勝する。46年も次々に優勝を記録し、かつてのように栄光の時に酔いしれた。48年、ベルンサーキットでのグランプリを前に、練習中の事故により死亡。 |
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U.ゴッバート(1888〜1945年)
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「偉大なオーガナイザー」
ゴッバートは、トレヴィゾ地方のヴォルパゴ ディ モンテッロの農家の一家に生まれた。工学の学位を持っていたため、ドイツに行って経験を積むチャンスが与えられ、機械工学の学位を収める。その後、フィアットで働くようになり、1933年には、数々の問題を抱えながらも、国家管理に移行しようとしていたアルファ ロメオのトップとなる。アルファ ロメオを救済するために呼ばれたゴッバートは、一時的に自動車の生産を中止し、航空機エンジンと軍用自動車を優先して生産することを決定する。ナチス ドイツの占領中も会社を指揮していたが、45年4月28日、謎に満ちた状況で殺害されているのが発見された。 |
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