History

 

1940-1950 | passion 美しき情熱

1940-1950 ― 戦争と復興
エンブレム/1946〜72年

ムッソリーニ独裁制の崩壊、そして共和国宣言と同時に、サヴォイ家の結び目は2本のうねった曲線に代わる。エンブレムの直径は54mmとなり、1950年からはエナメルでコーティングされた真鍮で造られるようになる。

アルファ ロメオの成功

ショービジネス界のクルマ好き有名人にとって、アルファ ロメオは「成功のシンボル」を意味していた。6C 2500のクーペモデル、「Freccia D‘Oro」(フレッチャ ドーロ/金の矢)は大ヒットを記録し、ミラノの車への魅力は、尽きることがなかった。顧客の中には、エジプトのファルーク王、アリ カーン、リタ ヘイワース、タイロン パワー、モナコのラニエリ王女もいた。バーリでは、1950年にトーティスが6C 2500 Berlinaを手に入れ、リタ ヘイワースも50年に6C 2500を選んだ。

ヴィラ デステ

「誇り高きもの」。刺激的なフォルムと傑出したエレガントなスタイル。6C 2500 Super Sport 「Villa D'este」(ヴィラ デステ)は、その洗練された美しさにより、1949年のカーデザインコンクールで優勝した。

アルファ ロメオと3人の「F」

アルファ レーシングと3人の「F」つまり、アルファのレーシングチームには3人の「F」、ファリーナ、ファンジオ、ファジョーリがいた。

アルフェッタ マニア

「アルフェッタという名の伝説」。1950年、51年のF1チャンピオン―マヌエル ファンジオは、他メーカーも含め計5度F1チャンピオンの座を獲得したが、「今まで数多くのレーシングカーを運転してきたが、アルフェッタが最高だ」と語っている。

ポスター

1940年代の広告で表現されたアルファ ロメオのもっとも美しい姿。

企業の沿革

第二次世界大戦にイタリアが参戦すると、アルファ ロメオは組織としてありとあらゆる問題を抱える。部品はますます入手が困難になり、ポルテッロ工場は1940年、43年、44年と3度の爆撃を受け、3度目の爆撃によって生産活動はほぼ停止してしまう。45年になって徐々に生産が再開されると、船舶用エンジン、航空機エンジン、そして最新式でオリジナルの電気調理器の生産まで行われた。自動車の生産も再開され、まず美しい6C 2500が、次に158が登場する。これは50年に159へと発展し、外観はほぼ変更されなかったものの、内部は徹底的に改善され、グレードアップしたエンジンを搭載していた。アルファ ロメオは、この頃ようやく戦争の悪夢から抜け出す。ビョンデッティの「ミッレ ミリア」での優勝は、この「再生」のもっとも象徴的な出来事となった。ビショーネ社が、車の大量生産と、ピニンファリーナとトゥーリング設計のボディを持った6C 2500の華麗な「特別エディション」シリーズに関して、再び決定的な役割を果たしたのである。1950年という年は、アルファ ロメオにとって生産面でもレース活動面でも大きな変化の年であった。

アルファ ロメオ博物館へ(イタリアサイトへ)