History

 

1950-1960 | passion 美しき情熱

1950-1960 ― 「ジュリエッタ」の時代
Giulietta(ジュリエッタ)

「メイド イン イタリー」を代表する象徴的な製品のひとつである。名称は詩人レオナルド シニスガリの提案によるものだが、シェイクスピア作品との連想から、この名は世界中の人々に直接この車をイメージさせるものになった。レース仕様のGiulietta Super Sprintのボディラインは、ミラノ〜トリノ間の高速道路で空力テストを重ねた結果、生まれたものである。テスト車両はウールの糸で半分覆われており、並んで走る別の車から写真が撮影された。ウールの糸の動きによってボディの一部で発生している空気の流れが把握され、ボディラインのどこに変更を加えるか判断された。

アルファ ロメオと美女達

アルファ ロメオは、美女のお気に入り。1955年には 「シネマラリー」で1900 T.I.に乗った女優ジーナ ロロブリジダ。1955年には1900が 「Miss Abruzzo and Molise Competition」で活躍。いつもは「日常の用事」に使われていても、1900は「冒険」にも最適な車だった。1958年、2人の女性がこの車で北極圏に到達した。

アルファマニア

アルファマニアスポーツカーは、新しい流行「アルファマニア」を生み出した。「1900を自分の車にしがたい」という願望は、自転車の世界チャンピオン、ファウスト コッピ(1952年)にも影響を与えた。イタリアを訪れたハリウッドスターは、ポルテッロ詣でを忘れなかった。タイロン パワーは、Disco Volanteを試乗し、リタ ヘイワースは50年に6C 2500を選んだ。ニューモデルはイタリア産業界にとって誇りの源であり、共和国大統領には内覧会が催された。55年、アルゼンチン大統領ペロンが3500を購入。56年には、ボルドヴィーノ王がアルファ ロメオのスタンドを興味深げに訪問した。ヨルダンのフセイン王は、アフリカで行われたGiulietta Sprintだけが参加した特別レースで、ドライバーに賞品を手渡した。アルファ ロメオに対する情熱が昂じて、イギリスとアメリカで「アルファ ロメオ オーナーズクラブ」が組織された。これは最新のアルファ ロメオ、またはビンテージのアルファ ロメオを所有しているアルファ ロメオブランドの愛好者クラブである。

ポスター

1950年代の広告で表現されたアルファ ロメオのもっとも美しい姿。

企業の沿革

1950年代、アルファ ロメオは、大量生産モデルの設計に専念した。会社は、ふたつの目標を持っていた。ひとつは、大量生産を始めること、もうひとつはレースでの成功を利用した高性能モデルを製造することであった。熱中と悦びが混じった「創造の時代」であった。1900は要求が次第に増えてきたマーケットに応え、一方、159を持つレーシングチームは無敵で、50年、51年とF1世界選手権で連続して優勝した。1900の数々のバリエーションのひとつに、多くのイタリア人の記憶に今も残る独特な黒いボディカラーの警察車両「Panther」がある。これは、53年から主要なイタリア警察本部の「空飛ぶ特捜班」に、アルファ ロメオが供給した車である。しかし、王冠の本当の宝石となったのはGiulietta Sprintであった。この当時、将来にわたって続くアルファ ロメオの傾向が生まれた。インテリア会社の研究センターと、外部カロッツェリアとの協力体制である。「メイド イン イタリー」のイメージを広めるモデルの生産が続き、アルファ ロメオのスタイルがその標準となった。量産モデルと並んで、著名なカロッツェリアが設計した限定モデルや、1台限りのワンオフモデルが生産された。58年、アルファ ロメオは「ドーフィヌ」サルーン生産についてルノーと合意に達した。

アルファ ロメオ博物館へ(イタリアサイトへ)