History

 

1970-1980 | personalities 人物そしてドラマ

1970-1980 ― 変革の時代
ニーノ ヴァッカレッラ

1933年パレルモ出身。
カバードホイールカーの進んだ指導者でありテクニックの優れたドライバーだった。70年代前半に国際的なレースで次々と優勝し、71年には総合でイタリアのチャンピオンタイトルを獲得。68年からアルファ ロメオチームに加わり、71年にはアウトデルタに移籍。メンバーとして「彼の」レースである「タルガ フローリオ」で優勝を飾る。75年にもアルツーロ メルツァリオとともに33 T 12に乗り、再び「タルガ フローリオ」で優勝した。

ニキ ラウダ

1949年ウィーン出身。
ニキ ラウダは74年から77年までフェラーリチームでレースに参加、その後ブラバムに移籍した。当時、この英国チームはアルファ ロメオのエンジンを搭載しており、ラウダは2勝をマーク。79年のシーズンが終わるまでブラバムチームに在籍した。3つの世界タイトル、―75年、77年はフェラーリ、84年はポルシェ ターボエンジン搭載のマクラーレンチーム―を獲得した後、85年にレースから引退。

ブルーノ ジャコメッリ

1952年、ブレシア県のポンカラーレに生まれたジャコメッリは、74年に「フォーミュラ イタリア」でデビューし、翌年同カテゴリーでイタリアチャンピオンを獲得。77年3月にモンツァでF1デビューを飾り、78年にはヨーロッパF2チャンピオンとなる。それを機に、優勝回数と練習走行ラップタイムで数々の記録を打ち立て、5回のF1レースに参戦した。79年にはアウトデルタの正規ドライバーとして、アルファ ロメオのF1カーマシンのセッティングのサポートを行い、アルファ ロメオのF1復帰に貢献を果たした。ジャコメッリのアルファ ロメオとの協力関係は、82年まで続いた。ベストのシーズンは80年と81年で、「ワトキンスグレン」ではポールポジションを獲得。ラスベガスでは3位に入賞した。

ロドルフォ フルスカ

ウィーン出身。 1935年にウィーン工芸学校で機械工学の学位を得たフルスカは、54年にアルファ ロメオのエンジニアリング担当取締役に任命され、デザイン、製造部門の責任者となる。フルスカが直接開発に携わった車は1971年 Alfasud Berlina、1973年 Alfasud TI、1975年 Alfasud Giardinetta、1976年 Alfasud Sprint。「ロメオ」バンとGiulietta Sprintの誕生にあたっては大きな役割を果たした。59年に一度退社するが、67年にSICAの取締役社長に任命され、再びアルファ ロメオへ復帰。イタリア南部で大量生産できるユーティリティカーをデザインし、世に送り出すことが仕事だった。彼は数人のエンジニアとともにメカニカルな面のデザインを担当、ジウジアーロとはボディワークの面で協力した。68年には、Alfasudの専務取締役社長に任命される。この車は予定通り71年に発表、72年からイタリア国内で販売された。74年、フルスカはアルファ ロメオ全製品のデザインと試験を監督した。