History

 

1980-1990 | race 勝利のために

1980-1990 ― 戦略的開発
1980年

1980年、アルファ ロメオは、ジャコメッリとデュパイエのふたりのドライバーを含むトップクラスのチームでF1に参戦。しかし、悲劇が起きた。アルファ ロメオにとって初のフル参戦となったシーズンは、フランス人ドライバー、デュパイエがホッケンハイムでの予選中に事故死するという大きな衝撃で始まったのである。それでもシーズンの最後には、ジャコメッリがポールポジションを獲得。翌シーズンも、ラスベガスでのジャコメッリの3位入賞が最高成績だった。

1982〜83年

1982年のシーズンは、信頼の厚いジャコメッリが若いローマ生まれのドライバー、チェザリスと組んだ。驚いたことにチェザリスは、ロングビーチでの「アメリカ グランプリ」の予選でポールポジションを獲得し、ファンを狂喜させる。しかし本レースではそのポジションを維持できず、チェザリスとジャコメッリはそれぞれ5ポイントと2ポイントでシーズンを終えた。一方、「ポルテッロのスクデーリア」ことアルファ ロメオは、歴史に残るレーシングカーを次々と生み出した。翌83年のシーズンは、アルファ ロメオのエンジンを搭載しF3で成功を収めていたユーロレーシングのマネージメントでF1に参戦。チェザリスは15ポイントを獲得、チームはコンストラクターズ部門6位でシーズンを終えた。

1985〜86年

1985年には、アルファ ロメオのF1に対する興味が薄れてくる。この年のシーズンは、リカルド パトレーゼとエディ チーバーがベネトンをスポンサーとしたユーロレーシングのプライベートチームでアルファ ロメオをドライブした。翌86年には、アルファ ロメオも再びこのチームをサポートする。一方、他のカテゴリーでは、アルファ ロメオのエンジンは、イタリア、フランスの国内、およびヨーロッパF3選手権で他を圧倒した。Alfa 75は引き続きツーリングレース、また将来性のある若手ドライバーを発掘するフォーミュラ アルファボクサー選手権(FAB)にも参戦した。