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2017.06.05

「フェンシングへの恋は、一生冷めない」。両手足を失ったイタリア人女性剣士が“Life is cool.”に込めた思い

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車椅子フェンシングのベベ・ヴィオ選手(以下略称べべ選手)。リオでのパラ五輪で金メダルを勝ち取り、各国からもっとも注目を集めるアスリートである彼女は、11歳の頃に病を患い、両手足を失った過去を持つ。日本では通信会社のCM出演により、瞬く間に知名度を高めるべべ選手。CSV活動において「Be Yourself」を標榜するアルファ ロメオは、六本木ヒルズで開催された「イタリア・アモーレ・ミオ!」のために来日した彼女に迫った。


「“アモーレ”はフェンシング」べべ選手と太田雄貴氏が登場

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場内には料理やカルチャーにおけるイタリアのトップブランドによる特設ブースが並んだほか、イタリアに縁あるゲストによるプログラムも多数開催された。

イタリア語で“恋愛”を意味するamore(アモーレ)。この単語を冠する、国内最大級のイタリアンフェスティバル「イタリア・アモーレ・ミオ!」が5月下旬の2日間開催された。

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左/昨年は5万人以上を動員した在日イタリア商工会議所主催の本イベント。
右/45分間行われた対談のテーマは、フェンシングやスポーツ全般の環境からハンディのある人を取り巻く社会まで、多岐にわたった。

全プログラムのなかでも核となったのが、5月21日に行われたトークイベント「フェンシングパラリンピック金メダリスト べべ・ヴィオとオリンピック銀メダリスト太田雄貴が語るフェンシングの魅力」だ。

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左/すっかり打ち解けた様子のべべ選手と太田氏。
右/渋谷を中心にdiversity(個々の多様性)の実現を目指す「ピープルデザイン研究所」を2012年に設立した須藤シンジ氏。

本プログラムでは、今年の開催コンセプト“Life is cool.”の発言した主であるべべ選手と、アスリート引退後も、フェンシングの普及活動を進める太田雄貴氏が登壇。今回は、アルファ ロメオが協賛しているNPO法人「ピープルデザイン研究所」代表理事の須藤シンジ氏がモデレーターを務めた。

「人生で二度も、フェンシングに恋をしました」

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須藤氏:べべ選手がフェンシングを始めたきっかけは?
べべ選手(以下B):5歳の頃です。もともとスポーツが好きで、当時はバレーボールをしてましたが、正直好きではなかった(笑)。ある日、練習がとにかくすごく嫌で抜け出したとき、気付けば普段は通らない道にいて。そこに偶然、フェンシングのジムがあったのです。
太田氏(以下O):町を歩いていて音が聴こえてきた。そこには道場があり、フェンシングを始めることになった。…理想的な環境ですね。

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左/「フェンシングを初めて見たら、きっと誰もがフェンシングに恋するはず。道場の雰囲気や剣同士がぶつかりあう音は、ものすごく魅力的ですから。」
右/「イタリアから学ぶ面はたくさんあります。」(太田氏)

B: 始めてから6年後、髄膜炎を発症して、両手足を失いました。そこで初めて、車椅子フェンシングの存在を知りました。5歳で初めてフェンシングに恋をして、11歳で再び恋に落ちたのです。


「競技前には緊張や不安、怖さがあります。ただし相手を剣で突くとき、どうしても“いい人”ではいられない。勇気を持ってやるしかなく、最終的には“勝つしかない”と思える。そのことをフェンシングから学びました。」(21日のトークセッションより)

「生きることの“cool”を伝えたい」

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左/ベべ選手や太田氏をはじめ、モデルの土屋アンナ氏やイタリア人歌手のArisa氏などゲスト達が記者会見に現れた。
右/記者会見の直前に日本に到着したべべ選手。

19日に行われた公式記者会見では今年のコンセプトとなった、自身の言葉“Life is cool.”について、司会者から質問を受けたべべ選手。よどみなく、そのメッセージに込めた思いを語った。

B:“cool”と表現したのは、素晴らしさ以上に“かっこよさ”を強調したかったから。髄膜炎によって私は両手足を失いました。人によってはネガティブに捉えるかもしれませんが、その出来事は私にとっては“cool”。人生の一部です。


「生まれてきた姿で一生を終えるものだ、という考えは誤りです。ある出来事で身体の一部が変わったとしてもそれは仕方がないことであり、また素晴らしいことなのです。」(21日のトークセッションより)

「生き延びた自分はラッキー。だから今後は自分が望むことを突き詰めてやっていく。そう胸の内で誓った」

「『私の人生だから、私が何をやるか決める』と。(一つひとつの選択に)自分の意志がある方」とべべ選手について太田氏は語る。

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現在20歳の彼女は、車椅子フェンシングのプレーヤーであると同時に、アートデザイナーとして働いている。

——べべ選手のポジティブな姿勢の原動力は?
B:私が患った髄膜炎は致死率が非常に高い病です。そのため数%の生存者は非常に幸運で、私はラッキーだなと。
病後はやりたいことをとことんやると決めました。フェンシングも含め、楽しいことをとにかくたくさんやる。それが、ポジティブさに繋がっているのかな。


今回は兄とともに来日。「私が頑張れるのは、家族のサポートあってこそ。私は家族のことが本当に大好きなのです。」(19日の記者会見より)

——初出場で優勝したリオでのパラ五輪。その時期は高校卒業と重複していたとか。
B:当時は本当にストレスフルでしたね。イタリアにおいて高校卒業は、日本の大学入試と同じくらい大変なこと。一方、大会への緊張感もピークでした。
でも、そのときに気付いたんです。私が耐えられるストレスには“限界”があると。それからはエネルギーの半分を学業に、もう半分は大会に注ぐという“戦略”を立てました。結果的に、周りの友人ほど、毎日にストレスを感じていなかったように思います。


来日中である5月21日の投稿。「私、スシが大好きなんですよ」(19日の質疑応答より)。

最後にひとつだけ尋ねてみた。
——普段ドライブすることは?
B:運転免許を持っていないので、今は助手席で、ドライブを満喫しています。免許ももうすぐ取得しますよ。

「Be Yourself」——自分らしさとは、胸の内にある「好き」「やりたい」に実直に向き合うことなのだろう。その姿に周囲は心を動かされる。アグレッシブに前へ歩み続ける彼女から、今後も目が離せない。

12-7J4A906221日のイベント終了後、来場者の少女にサインを贈るべべ選手。

取材・文/門上奈央
写真/コタニシンスケ