2012.07.30

Giuliettaと巡る金沢 Vol.1

金沢で百万石の伝統に触れる

北陸の地、石川県の金沢は全国でも有数の城下町として知られた街。江戸時代には百万石を領地とし、徳川家に次ぐ大藩として力を備えていた加賀藩は前田利家をはじめとする歴代藩主が茶の湯などの文化事業に深い関心を寄せていたことでも知られている。

藩政時代に栄華を極めた金沢では、加賀友禅や加賀蒔絵といった華麗な伝統工芸が受け継がれてきた。また、日本三名園のひとつとして知られる兼六園や加賀藩の武士たちが屋敷を構えた長町武家屋敷跡など、当時の面影を残す歴史的な建造物が、今なお時を刻み続けている。

金沢を訪れたら、茶屋街文化は必見!

金沢で当時の城下街の風情を色濃く残しているものひとつが三つの茶屋街。金沢城下を挟んで北側を流れる浅野川近くには、国の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されている『ひがし茶屋街』と『主計町(かずえまち)茶屋街』。城下の南側を流れる犀川の南には『にし茶屋街』が存在する。

三つの茶屋街はそれぞれの身分によって通う場所の棲み分けがされていたのだという。武士と商人だけに通うことが許されていた『ひがし茶屋街』は、金沢で最も格式が高い茶屋街。浅野川を隔てた対岸沿いに軒を連ねる『主計町茶屋街』は明治初期にできた茶屋街で、お役所の職員たちが訪れた場所。犀川の外側にある『にし茶屋街』は寺が連なる街並みが特徴で、庶民が訪れることができた茶屋街だと伝えられている。


金沢の茶屋建築は、1階には細かに刻まれた格子がはめ込まれ、客を通す2階部分は天井が高い造りになっている。当時は町人が武士を見下ろすことが無礼とされていたことから一般家屋は2階建てにすることが禁じられていたが、茶屋街だけは例外的に許されていた。2階の廊下は吹き離しの縁側を備えた建築様式が特徴となっている。

現在も一客一亭のお座敷文化が受け継がれている茶屋街。夜のお座敷に参加するためには、馴染みの客の紹介が無ければ参加することができない『一見さんお断り』のしきたりがある世界としても知られている。

かつては、お座敷を訪れる客しか目にすることが叶わなかった世界ではあるが、現在は昼間に公開しているお茶屋があるという噂を聞きつけて、ひがし茶屋街のメイン通りでひと際大きな建物を構える『懐華樓(かいかろう)』にお邪魔させていただくことになった。


敷居をまたぎ、迎え扇と送り扇が描かれた玄関から、隣の間に通してもらうと、通り沿いから見た時は格子がはめ込まれて壁のように見えていた壁面が室内からは外を歩く人々の往来が見える造りになっていた。日中は明かり取りの役目を果たし、古くから受け継がれた和の建築ならではの表情を楽しませてくれる。

この空間は、昼間は素材にこだわった高級甘味を楽しむことができるカフェとして営業されている。囲炉裏を囲み、外の喧噪と窓一枚と格子戸で隔てられた空間で甘味を口にしていると、何ともいえない贅沢なひとときを満喫することができる。ひがし茶屋街の散策で一息つくには最高の場所といえるだろう。


 
 
格子戸の上には、現在、ひがし茶屋街で活躍している15人の芸妓の名が書かれたうちわが飾られていた。

懐華樓にみる、受け継がれる文化

案内してもらった担当者の話によれば、懐華樓は日本で最初に一般公開を始めたお茶屋なのだそうだ。

ここ『ひがし茶屋街』は昭和24年頃、敗戦後の世の中の空気に対して煌びやかすぎるということで営業が再開できない状態となり、一度この街は死んだのだという。時代に置き去りにされてしまった茶屋街はマンションの建設計画もあって取り壊されそうになったこともあったそうだが、江戸時代の素晴らしい建物を後世に残して行こうと、街が一丸となって立て直しを図ったそうだ。

その結果、平成元年頃に復活を遂げることができた『ひがし茶屋街』。かつては50軒ほどあったお茶屋は現在では6軒となり、200名いた芸妓は15名まで減ってしまったが、いまでも金沢の顔として活躍を続けている。

彼らが守ってきたお茶屋建築の内部は、巧みに練り上げられた間取りとなっている。例えば、1階の客が出入りする玄関は、表玄関の他にも裏街道側からの出入口を設けられていたりと、合計で4箇所に玄関を設置。建物内には2階の座敷と玄関までを行き来できる複数の階段や廊下が用意されていて、客同士が顔を合わせないための導線が確保されている。客をもてなす上で配慮を怠ることはない。

正面玄関から2階の座敷に客を通すのは、艶を放つ鮮やかな朱の輪島塗りの階段。階段を登ると尾形光琳の作品とされるついたてが飾られていた。建物のあちこちにちりばめられた調達品の数々には、伝統的な技巧を凝らした華やかさが息づいている。

『朱の間』と呼ばれるお座敷は、壁の色を朱色で塗り上げた鮮やかな間。朱色は芸妓さんの肌を妖艶に見せる色として用いられている。

畳のへりには壁の色と同系色の生地を組み合わせ。天井に取り付けられているのは西洋式の照明具となるが、和の建築に西洋式の品を用いることは、文明開化の時代においては贅沢なものだった。

『群青の間』と呼ばれるこちらの間は高貴の証とされる『加賀群青色』で壁一面が塗られており、身分のある人しか出入りができなかった座敷とされている。

座敷に用いられた襖には扇の模様が描かれていたが、芸妓が持つ扇と同様に『末広がり』を意味するもので、商売繁盛の験を担いでいる。また、客間同士の間に設けられた部屋の畳には卍模様が描かれており、それらの卍をいくつも客が踏みしめて帰ることで、『心を浄化して帰ってください』という意味が込められているという。それぞれの模様や造りに洒落を利かせているあたりも、客を楽しませるお茶屋ならではの計らいといえる。


 
芸妓が用いる太鼓。
お座敷遊びで『散財』することと掛けて別名
『散財太鼓』とも云われている

加賀藩で嫁入り道具のひとつとして伝わる加賀友禅の『花嫁のれん』も飾られていた。これは嫁入りをする際、仏壇参りをするときに、一度だけくぐるという華やかなのれんで、こちらに飾られていたものは、おめでたい花車の模様と二つの家紋が描かれたものだった。京友禅は内から外に色を乗せて幻想的な雰囲気を醸し出すのに対し、加賀友禅は花びらの外側から内側に向けて描かれるため、輪郭が力強く鮮やかに見えるのが特徴。

お茶屋の1階は江戸時代は住居とされていたが、建物の中に2階建ての蔵が組み込まれ、すぐに片付けができる構造になっているというのも女所帯のお茶屋ならではの建築様式といえる。地下部分には冷蔵庫の役目を果たす氷室(ひむろ)があり、ここに戸室山の雪を入れておくことで、一年中一定の温度が保たれるのだという。

また、ここには装飾を施した欄間が飾られていたが、客に見せない細かな部分まで、お洒落心を忘れていないのが金沢流。金沢の人々は着物を着る際も内側に羽織る襦袢にお洒落なポイントを採り入れて着こなしを楽しむそうだが、こうした『粋』な演出は、数多くの美しいものに触れて、感性が磨かれた金沢の人々ならではの発想だ。

1階の床には、板と板の間に竹を挟む珍しい手法が用いられていた。金沢は雪が多く、夏は湿気が多い気候ということで、床に隙間を設けて通気性を良くするという生活の知恵が用いられている。

こちらは、現在の女将が遊び心で作ったという『金箔の茶室』。水引に用いる素材に金箔を施し、まばゆいばかりに黄金色の光を放つ豪華な造りとなっている。

こうして、昔ながらのお茶屋の歴史が培ってきたものに現代の人のアイディアを加えていく、歴史的な物の中に新しい発想を柔軟に採り入れていくさまは、京都とも違う、金沢らしい文化の受け継ぎかたといえるのだろう。

伝統を受け継ぎながらも変わっていくことを恐れない堂々とした姿勢は、Alfa Romeoのクルマに『粋』を見いだす感覚と同じだ。ただそこに居るだけで華やかなオーラを滲ませるGiuliettaだが、時代の要求を受け容れて進化を遂げながらも、気持ちをときめかせてくれるAlfa Romeoのエッセンスが注ぎ込まれている。姿は変われど、根の部分には伝統がしっかりと受け継がれていて、揺らぐことはないのだ。

懐華樓では金沢のお茶屋文化を多くの人々にも知ってもらい、この文化を絶やさないことを願って、年に数回、一般人が参加できる季節の艶遊会(えんゆうかい)を開催している。芸妓の技、料理から調達品、芸妓が身に付けるかんざしまで、金沢の伝統が培った一流の世界をお座敷体験を通じて堪能してみてはいかがだろうか。
 

懐華樓(かいかろう)

住所:石川県金沢市東山1-14-8
電話:076-253-0591
ホームページ:http://www.kaikaro.jp/

営業時間:午前9時〜夕方5時 年中無休
入館料:700円 
クルマの場合、ひがし茶屋街周辺の一般駐車場をご利用ください。


藤島知子(モータージャーナリスト)

幼い頃からのクルマ好きが高じて、スーパー耐久のレースクイーンを経験。その一年後、サーキット走行はズブの素人だったにもかかわらず、ひょんなことから軽自動車の公認レースに参戦することになる。以来、レースの素晴らしさにどっぷりハマり、現在は自動車雑誌やWeb媒体で執筆活動する傍ら、箱車にフォーミュラカーにと、ジャンルを問わずさまざまなレースに参戦している。

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