alfawoman 2021.11.26

G7伊勢志摩サミットで各国首脳に料理を振舞った、樋口宏江が“働くこと”を通して伝えたいこと

女性の活躍が叫ばれ、働き方が多様化されているが、料理の世界は未だ“男性社会”というイメージを払拭できずにいる。そんななか、樋口宏江(ひぐち・ひろえ)氏は70余年の歴史を誇る『志摩観光ホテル』の総料理長に女性として初めて就任。2016年、G7伊勢志摩サミットのワーキングディナーを担当。三重の食材をふんだんに使った、この土地でしか味わえない唯一無二のフランス料理は世界の要人たちから絶賛された。そんな樋口氏にFCAジャパン マーケティング本部長、ティツィアナ・アランプレセ氏がオンラインインタビューを敢行。料理人を目指したきっかけから仕事への思いについて伺った。

子どもの頃から母の手伝いをするのが大好きでした

01_東側鳥瞰全景 G7伊勢志摩サミットで各国首脳に料理を振舞った、樋口宏江が“働くこと”を通して伝えたいこと

三重県志摩市の『志摩観光ホテル』は、“シマカン”の愛称で親しまれる名門ホテルだ。同ホテルは1951年開業、伊勢志摩に真珠の買い付けに訪れる外国人が多く訪れた。意匠設計は建築家の村野藤吾氏が手がけたという。開業の年には早くも昭和天皇が宿泊され、また、作家の山崎豊子氏が贔屓にしていたことでも知られている。代表作のひとつである『華麗なる一族』の「陽が傾き、潮がみちはじめると、志摩半島の英虞湾に華麗な黄昏が訪れる」という冒頭は、同ホテルから見える、真珠の養殖筏(いかだ)が並ぶ英虞(あご)湾の夕日を描写したものだ。

志摩観光ホテルは、現在、『ザ クラシック』と『ザ ベイスイート』『ザ クラブ』の3館で構成されているが、その館内すべてのレストランを統括しているのが樋口宏江氏だ。スラリとしたスタイル、そして彼女が醸し出す柔和な雰囲気は、多くの人が“フランス料理のシェフ”に抱くイメージと異なるのではないだろうか。そんな樋口氏にアランプレセ氏は、料理人を目指したきっかけについて尋ねた。

Ms.higuchi- G7伊勢志摩サミットで各国首脳に料理を振舞った、樋口宏江が“働くこと”を通して伝えたいこと

▲樋口宏江氏

「母は料理が得意で、おやつは手作りでしたし、食事も手の込んだものを食べさせてくれました。そんな母の影響もあり、私も胡麻を擦ったり、煮干しのわたをとったり、豆の筋をひいたりと、子どもの頃から母の手伝いをするのが大好きでした」

「私も小さい頃から母と一緒に料理をしていたので、とてもわかります」とアランプレセ氏は懐かしそうに目を細める。

家族に喜んでもらえるのもうれしくて小学校高学年くらいになると、「図書館で本を借りてきてお菓子を焼くようになりました」。そして、気付けば、料理を作ることを仕事にしたいと考えるようになっていたという。その思いは色あせることなく、高校卒業後、調理師専門学校でフランス料理を学び、『志摩観光ホテル』に就職する。

iseshima051c G7伊勢志摩サミットで各国首脳に料理を振舞った、樋口宏江が“働くこと”を通して伝えたいこと

「私が就職した約30年前は、女性の料理人の求人はほとんどありませんでした。でも志摩観光ホテルは当時から女性を雇用していたんです。その頃は、いつかは自宅にゲストを招くスタイルのレストランを開きたいという思いがあったので、実家から近い場所で経験を積めるということも大きかったです」

先輩たちのほとんどが男性だったが、厨房には「当時から女性の先輩もいて、いろいろなことを教えていただきました」

樋口氏の入社当時、『志摩観光ホテル』の総料理長を務めていたのは、高橋忠之氏だ。当時、日本のフランス料理は、ヨーロッパから輸入した食材を使うことが主流だったが、高橋氏は地元・伊勢志摩の海の食材をメインとした“海の幸フランス料理”を提唱。同ホテルの看板メニューである『伊勢海老クリームスープ』や『鮑ステーキ』などを考案した伝説の料理人である。

「賢島でしか味わえないフランス料理を確立した人物です。この土地でフランス料理を作るのはどういうことかという哲学も教えてもらいました」

さらに高橋氏は、“性別の分け隔てなく、仕事を任せてくれる人”でもあったという。

「たくさんの仕事を覚えることができましたし、チームで仕事をすることの楽しさも体験させてもらい、いつしか、このホテルで長く仕事を続けたいと考えるようになっていました」

鮑の海藻蒸し G7伊勢志摩サミットで各国首脳に料理を振舞った、樋口宏江が“働くこと”を通して伝えたいこと
▲鮑の海藻蒸し

高橋氏は2001年に勇退。樋口氏は、2008年に『ザ ベイスイート』の開業とともに、館内のフランス料理レストラン『ラ・メール』のシェフに任命された。さらに2014年からはホテル内のすべての料飲施設を統括する総料理長の役割も担っている。

「男性中心の職場で上に立つにあたって意識したことはありますか」と、アランプレセ氏は、多くの人が興味を持っているであろう質問を投げかけた。

「口には出さなくても、女性が男性よりも劣っていると考えている人は、今も少なくないと思います。でもだからこそ頑張ろうと思いました。また、総料理長となったことで立場が変わり、なぜ年下で、女の私に指示されなければいけないのだろうかと不快に感じた先輩もいたかもしれません。厨房だけでなく、社内においてすべての人々との良好な関係を保っていくことにも心血を注ぎました」

M1A7907ok G7伊勢志摩サミットで各国首脳に料理を振舞った、樋口宏江が“働くこと”を通して伝えたいこと

アランプレセ氏が「そんな風に戦ってきたのね」とつぶやくと、樋口氏は笑顔でこう答えた。

「私も大きな声を出すことはあるんですよ(笑)。たとえば、料理はあるポイントを過ぎると美味しくなくなってしまいます。そのタイミングを逸してしまった時や、仕込みがしっかりできていない時、一度、二度注意してもできていない時は、厳しく指導することもあります。私もスタッフもまだ発展途上。失敗と成功を繰り返しながら成長していきたいと考えています」

厨房をまとめる立場として大切にしているのは、“その場で声をかけること”だという。

「小さな子どもも、大きな大人も、誰だって褒められるとうれしいものですよね。モチベーションも上がります。ダメなことを注意することもありますが、良かったことは良かったと伝えるようにしています」

常に考えているのは、“どうしたら喜んでもらえるか”

3館-上空 トリミング G7伊勢志摩サミットで各国首脳に料理を振舞った、樋口宏江が“働くこと”を通して伝えたいこと

G7伊勢志摩サミットでワーキングディナーを担当することになったのは、総料理長に就任して2年目の2016年5月のことだ。外務省などから「地元である三重の食材をたくさん使ってほしい」をいう要望を受け、作り上げた料理は各国の首脳の称賛を浴びた。「ぜひ、その時のエピソードを聞かせてください」というアランプレセ氏のリクエストに応え、樋口氏はこんな話をしてくれた。

「サミット開始前、下見に来られたフランスの方々が、伊勢海老クリームスープをお召し上がりになり、『美味しい、バケツ1杯飲める』とおっしゃってくださったのが嬉しかったですね。先々代が作り、長年愛され続けてきたこのスープは、私たちホテルの財産です。多くの方に味わっていただきたいですし、ホテルとして伝え続けていかなければと考えています」

伊勢海老クリームスープ-2 G7伊勢志摩サミットで各国首脳に料理を振舞った、樋口宏江が“働くこと”を通して伝えたいこと
▲伊勢海老クリームスープ

「本当に。いつか、必ずいただきたいです」と真剣につぶやくアランプレセ氏に笑顔を向けながら、樋口氏は、伊勢志摩サミットを機に、「地元の生産者の方とのご縁が深まったことは、ホテルにとっても私にとっても大きな転機となりました」と続ける。

尾鷲魚屋さんと G7伊勢志摩サミットで各国首脳に料理を振舞った、樋口宏江が“働くこと”を通して伝えたいこと

「先々代の総料理長は、地の利が悪い賢島まで訪ねてくださるお客様に、ここでしか味わえない食材を使った食体験をしてほしいと考える人でした。私も同じ思いです。その時期にしか味わえない、ローカルな食材を使い、ここまで足を運んで良かったと思っていただけて、そして、料理人である私たちや生産者の方の思いを込めた料理を提供したいと考えています。私が入社する前から志摩観光ホテルを愛してくださっているお客様もたくさんいらっしゃいます。そういった方の期待を裏切ることなく、その上で、伊勢志摩の風土や生産者の方たちの思いなどを感じてもらえる料理を提供していきたいです」

樋口シェフ伊勢海老漁(2000px) G7伊勢志摩サミットで各国首脳に料理を振舞った、樋口宏江が“働くこと”を通して伝えたいこと

サミットをきっかけに、地元のジビエや柑橘類、酒蔵との関係はより密になったという。昔ながらの製法で仕上げる地元の老舗鰹節店のかつお節など、従来フランス料理では使わない和の食材を使ってフレンチの技法で昇華する樋口氏の料理のファンも多い。

「それは楽しいですね。私は和食が大好き!とても興味があります」とアランプレセ氏。オンラインの画面越しからわくわく感が伝わってくる。

「もしかしたらそれは本当の意味でのフランス料理ではないかもしれません。それでも、日本人である私は、季節や土地の食材を大事にしながら、日本人が食べて美味しいと思うフランス料理を提供したいと考えています。そして、受け継いだ伝統を守りながら、時代に合った新しい料理に挑戦を続けることで、このホテルの料理が食べたいと伊勢志摩までいらしてくださる、そんなお客様をもっと増やしていければうれしいです」

shimakankohotel-4 G7伊勢志摩サミットで各国首脳に料理を振舞った、樋口宏江が“働くこと”を通して伝えたいこと

常に考えているのは、“どうしたら喜んでもらえるか”。子どもの頃、家族に料理を作った時も、今もそれは変わらない。

「母が家族のために美味しい料理を作ってくれたように、一皿一皿に思いを込めて向き合い、丁寧に仕事をし、お客様に美味しい料理を提供する──。これは、私が料理を作る上で譲れない、スタッフにも強く伝えているポイントです。私は自分の仕事が大好きですし、好きなことを仕事にできたことをとても幸せに感じています。そんな大好きな仕事を長く続けていられるのは、スタッフや家族など、さまざまな人が支えてくれたから。私が1日でも長く料理人を続けることで、自分の意志と周りの支えがあれば、女性でも長く料理人として働けるんだということを、未来を担う若い方にお伝えしたいと考えています。日々成長しながら、これからも料理を作り続けていきます」

樋口シェフ 南伊勢柑橘畑03 G7伊勢志摩サミットで各国首脳に料理を振舞った、樋口宏江が“働くこと”を通して伝えたいこと

そんな樋口氏の言葉に、アランプレセ氏は大きく頷いた。そして、満面の笑みで、「今度は伊勢志摩でお会いしたいですね。みなさんが絶賛されるスープ、ぜひ食べに行きます!」と、画面越しに樋口氏に語りかける。きっと遠くない未来、その約束は実現されるはずだ。

図2 G7伊勢志摩サミットで各国首脳に料理を振舞った、樋口宏江が“働くこと”を通して伝えたいこと▲インタビューはオンラインにて実施された

Interviewer:FCAジャパン株式会社
マーケティング本部長
ティツィアナ・アランプレセ

20210108_qetic-alfaw-0016 G7伊勢志摩サミットで各国首脳に料理を振舞った、樋口宏江が“働くこと”を通して伝えたいこと

Text:長谷川あや
Photo:大石隼土

POPULAR