alfawoman 2020.03.06

インクルーシブな社会の実現のため、マセソン美季氏がパラスポーツ教育に取り組む理由

1998年にアイススレッジスピードレースの日本代表として出場し、金3、銀1の計4個のメダルを獲得したマセソン美季氏。現在は国際的なパラスポーツの大会に携わり、インクルーシブな社会を実現するための活動に取り組んでいるマセソン氏に、つねに前向きに人生を切り開いてきた彼女の考え方、活動の原動力について伺った。

突然の交通事故からパラアスリートに

国際的なパラスポーツ大会にさまざまなかたちで携わり世界中を飛び回って活動するマセソン美季氏。

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明るい笑顔でまわりを元気にするマセソン氏だが、その人生は決して平坦ではない。体育の先生をめざしていた大学1年のとき、柔道部の朝練に向かう途中で青信号の横断歩道を渡っていた彼女は、居眠り運転のダンプカーにはねられ、脊椎を損傷して車椅子生活となった。

さる2月15日(土)、読売新聞東京本社で開催された大手小町主催のセミナー『インクルーシブな社会について考える』では、金メダリストになった後、障がい者スポーツの先進地アメリカ・イリノイ大学へ留学、さらに結婚を機にカナダへ移住し、現在は日本とカナダを行き来してパラ教育に取り組んでいるマセソン氏の人生の軌跡と現在の活動について語られた。

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「全然、悲劇のヒロインではないんです」と語り、はつらつとした表情とユーモアあふれるトークで聴衆の心をとらえるマセソン氏。そのエネルギッシュな活動の原動力はどこから来るのか、知りたいと思った。

海外に出たことで気づいた自分の“使命”

「海外に出て、日本では知ることができなかった価値観を知れたことが、一番のターニングポイントだったと思います」

日本で教員免許を取得したものの、車椅子では先生になれないと諦めていたマセソン氏。ところがカナダに行って、あるとき子どもの頃の夢をきかれ、「教員になりたかったけど、車椅子だから諦めた」と言うと、その場にいたみんなが「なぜ車椅子だと教員になれないの?」と不思議そうな顔をした。そこで「私は夢を諦めなくていいんだ!」と気づいて、学校の先生になったという。

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「最初は雇ってもらえるのか心配だったんですが、“ぜひうちに来て”と迎えてもらえました。カナダでは、多様性を学ぶために、子どもの頃から多様な人に触れているほうがいいという考え方が根づいていて、私は“アジア人”で“車椅子”ということに引け目を感じるどころか、むしろ大歓迎されて売り手市場だったんです(笑)。私自身は何も変わらないのに、環境を変えれば、こんなにも受け入れられ方が違うんだということを知ったのは幸せなことでした」

日本ではハンディキャップと捉えられることが、カナダでは特徴や魅力として評価されたのは、まさにカルチャーギャップであり、人生の扉が開かれるような体験だった。移民を幅広く受け入れて発展してきたカナダという国の歴史、文化的な背景も大きいだろう。ところが、日本に帰ってくるたびに“障がい者”として扱われてマイノリティになってしまう。

「海外に出たことで気づいたことを日本で伝えていくのが、私のやるべき仕事だと思うようになっていきました」

ワクワクすることに向かっていく

またマセソン氏は教員として勤める以前、カナダの地元の銀行で窓口業務に挑戦したこともある。その理由がまたユニークだ。当時はまだ英語での会話力に自信がなかったため、働きながら英語の勉強ができる場所はどこかと考えた。その結果、お金の話であれば、流暢でない英語でも相手が真剣に耳を傾けてくれると思いつき、勉強しながらサラリーも得る一石二鳥を実現。この発想のしなやかさと、思いついたらそれを実践する行動力。さらにここから人生の扉が開くことになる。

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「あるとき、銀行の窓口で仕事をしていたら、お客様の老紳士から“きみにはもっとふさわしい仕事があるから、履歴書を持ってきなさい”と言われたんです。支店長に相談したら、“彼は元外交官で、立派な人だから大丈夫ですよ”と。それで履歴書を渡したことがきっかけで、国連の外郭団体で働くことになったんです」

教員として働くようになってからも、国連関連の仕事を手伝っていたところ、ニューヨークの国連本部でたまたま日本財団パラリンピックサポートセンターの関係者と出会い、それがきっかけとなり、後に同センターのプロジェクトマネージャーという仕事のオファーを受けることになった。

「計画的にやっていたわけではまったくなくて、偶然の重なりの連続です。自分ではチャレンジとも思っていなくて、ワクワクすること、やってみたいこと、行ってみたい場所に足を踏み入れて、自分ができる最大限のことをやっていると、何か新しい道が見えてきて、次へとつながっていくんです」

子どもたちを通して大人や社会を変えていく

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マセソン氏が今、取り組んでいるのは、国際的なパラスポーツ大会を題材に、共生社会への気づきを促すための活動で、具体的には全国の小中学校に配布する教材づくり。教材の名前は『I’m POSSIBLE(私はできる)』。「IMPOSSIBLE(できない)」に少し変化を加えるだけで“できる”になることを、ワークショップを通じて体験してもらうプログラムだ。

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「大人の価値観を変えようとしてもなかなかうまくいきません。それより子どもたちへの教育を通して社会を変えていくほうがスムーズで、子どもたちが変わると、まわりの大人たちも変わっていくんです。これは『リバース・エデュケイション(逆流の教育)』と呼ばれていて、子どもから反射して大人が学ぶ現象をうまく活用しながら、プログラムを広めているところです」

子どもの頃からスポーツが好きで、自然に体育の教師を志したという彼女が、どんな先生になりたいかというビジョンが明確になったのは、中学生のときだった。

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「同じクラスに、運動が苦手で体育の授業を見学することばかり考えている女の子がいたんですが、その子がハードルを2回続けて跳べたことを、先生がすごく褒めたんですね。それがきっかけで、その子は自信がもてるようになって体育を見学しなくなったんです。私もこういう先生になりたいなと。スポーツが上手な子を育てたいんじゃなくて、みんなにスポーツの楽しさを伝えたいし、好きになってほしい」

「できないことができるようになったり、わからなかったことがわかるようになったりする瞬間に立ち会えたとき、私もすごく嬉しい。それがモチベーションになっています。その喜びを一人でも多くの人に伝えたいんです」

前例やマニュアルがなくても行動できる人に

マセソン氏の目には、日本の問題点や改善すべきことが、どんなふうに見えているのだろうか。

「マニュアルがないと不安で行動できない人がすごく多いと感じます。誰かが決めたルールに従うことに慣れすぎている。私のように“規格外”の人がくると、どう扱っていいのかわからずに、“前例がないのでわかりません”と思考停止してしまう。前例やマニュアルがなくても、“こうすれば、できるようになるのでは?”と自分で考えて行動できる人が増えたら、日本はもっと変わっていくんじゃないかと思います」

最近になって“ダイバーシティ(多様性)”の重要性が叫ばれ、“インクルーシブな社会”を求める動きが盛り上がっているが、それは逆に、長いあいだ日本では異質なものを排除しようとする圧力が強かったことの裏返しとも言える。

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「カナダでは、私のつたない英語を笑う人は誰もいませんでした。ぼくたちは日本語が話せないのに、きみは英語ができるなんてすごいよって励ましてくれて、みんなで育ててくれる雰囲気でした。そのお陰で間違えることが怖くなくなり、安心して英語を話せました。ところが、カナダ暮らしで、日本語は話せても流暢ではないうちの子どもたちが日本にくると、寛容ではない対応をされます。せっかく日本にいるんだから、お店の人とも日本語で会話しなさいと言うんですが、子どもたちの日本語がときどき翻訳したような話し方になるので、お店の人が子どもたちではなく私に向かって話すようになるんですね。それで、子どもたちはすっかり自信をなくしてしまう」

「こんなに日本語を話せる子どもたちでもそうなのだから、日本語が得意ではない、海外から仕事や留学で来た人たちは、どんな思いで生活されているんだろうと。おもてなしの国で、思いやりのある日本人のはずなのに、マイノリティに厳しいところがあるのは恥ずかしいし、残念すぎます。」

こうした体験や強い思いがあるからこそ、“インクルーシブな社会”の実現に向けての活動にもいっそう熱がこもる。

最後に、自分の人生を切り拓きたいと思っている女性たちへのメッセージを伺った。

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「レールが敷かれていないとできないと思い込んでいる人が多いように思いますが、私は道がなかったらつくればいいと思っています。自分のことをブルドーザーだと思ってるんですよ(笑)。ときには道をふさぐ障害物があるけれど、私が道をつくっておけば、私の後から来る人たちは、楽にこれるようになるでしょう」

マセソン氏の軌跡は、あらかじめ人生のシナリオがあったかのようにドラマチックだが、それは側から見た印象であって、その瞬間ごとに彼女の意志と決断、行動によって点が線につながっていった結果である。

持ち前の聡明さで道なき道を切り拓いてきたマセソン氏の生き方は、多くの人を勇気づけ、ロールモデルとなっている。子どもへの教育から日本の大人と社会を変えていこうとする取り組みを、全力で応援したいと思わずにいられない。

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Text:古橋エイコ
Photos:佐藤大輔

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