Car Life 2021.01.28

作家・甘糟りり子の『私のアルファ ロメオ物語』第2回〜スパイダー〜

アルフィスタとして知られる人気作家・甘糟りり子氏が、現在までに乗り継いできたクルマとの思い出を紹介する全4回の連載コラム。第2回目は甘糟氏にとって“特別なクルマ”である『スパイダー』の印象的な思い出について綴った。

アルファ ロメオのスパイダーモデルが登場する映画はたくさんあるが、私が好きなのは『NINE』だ。ダニエル・デイ=ルイス演じる主人公は名声をほしいままにしてきた映画監督。大きなスランプに陥っている。彼が乗っているのがペール・ブルーのジュリエッタ スパイダーなのだ。ソフィア・ローレン演じる母を助手席に乗せローマの街中をドライブする場面もいいが、撮影現場から逃げ出し、一人で南イタリアの海岸線を走る場面の美しさは衝撃的。曲がりくねった山道の向こうに青い海が広がり、ペール・ブルーのスパイダーがあっという間に小さくなっていく。ほんの数秒の場面だが、ずっとここを見ていたいとさえ思う。物語を言葉で紡ぐことを仕事にしている私は、セリフのないこういう場面で映画に嫉妬する。どんなにふさわしい言葉を探しても、この数秒の衝撃的な美しさを伝えられないのではないだろうか。

あの場面はやっぱりアルファ ロメオでないとダメだし、ペール・ブルーであるべきだし、スパイダーでなければ成り立たない。

アルファ ロメオのスパイダーモデルは特別な車だと私は思っている。享楽的であること、そしてそれは悲しみをともなっていること、車がそれを語っているから。

『NINE』はフェリーニの『8 1/2』が原作だ。物語を足して再構成されているため、タイトルは1/2分を足して、9となったのだ。フェリーニの原作では、最後の場面で「人生はお祭りだ」というセリフがある。

20年ほど前、私が乗っていたアルファ ロメオ スパイダーは銀色だった。幌を開け、風と太陽と一緒に走るのは気持ちが良かったけれど、速度を上げると胸辺りまで伸ばしていた髪が顔にまとわりついた。かっこよく乗りたくて、この車のために胸の辺りまで伸ばしていた髪を切り、生まれて初めてのショートカットにした。私が乗っていたのは”二代目”のスパイダー。後ろ姿がグラマーなタイプだ。当時は幌の開け閉めは手動で手間がかかったが、多少寒くても暑くてもよく幌を開けた。街の匂いに浸りながら走るのが好きだった。

スパイダーでのドライブで思い出深いのは母の友人のJさんである。母とJさんはよくうちの居間でお茶とおしゃべりを楽しんでいた。ウエストのリーフパイやデメルのチョコレートやラ・マーレ・ド・チャヤのケーキと一緒に音楽や本の話、ファッションの話、それからおそらく恋バナみたいなものもしていたと思う。

二人がまだ六十代の時、Jさんは癌になった。母は癌に効くという評判のものをあれこれと探し、効果があると言われている温泉に二人で旅行をしたりもした。

Jさんは長い間、入退院を繰り返していた。ある春の初め頃、タクシーでうちに遊びにいらした。首にはシルクらしきシルバーのスカーフをしていた。放射線治療の跡を隠すためだそうだ。

悲しそうに笑いながら、また明日から入院だといった。
帰りは私が送っていくことになった。
「リリコちゃん、桜が見たいから少し遠回りだけれど鎌倉山経由で帰ってもいいかしら?」
「はい、もちろん。幌開けましょうか?」
まだ肌寒い午後だった。私はヒーターを最大にして、幌を開けた。Jさんはやせ細った身体を折り曲げるようにして助手席に乗った。

鎌倉山のメインの道には両側にソメイヨシノが植えてあって、春先は桜のアーチができる。桜が散ると、道に白い絨毯が敷いてあるみたいに見える。その日は風が吹いていて、私とJさんは桜吹雪の中をスパイダーで走った。車の往来はほとんどなかったから、私はかなり速度を落として進んだ。助手席のJさんはシルバーのスカーフを手で押さえながら、ずっと空の方を向いていた。
「きれいねえ。本当にきれい」
何度も繰り返した。最後の方は涙声になった。

家の前に着いて、車を降りてから聞かれた。
「この車、かっこいいわねえ。なんていうの?」
「アルファ ロメオ スパイダーです。イタリアの車です」
「まあ、私今日はイタリアの車に乗っちゃったのね。生まれて初めてだわ。楽しかった。リリコちゃん、ありがとう」
かしこまってお辞儀をされてしまい、私は戸惑った。
ドライブの翌日に再び入院され、それから彼女が自宅に戻ることはなかった。病室に見舞った母にも、あれが最後の桜かもしれない、とつぶやいていたそうだ。

「人生はお祭りだ」、桜の季節に鎌倉山を通ると今でもフェリーニの映画のセリフとJさんの声が頭に浮かぶ。あの場面もやっぱり、銀色のスパイダーでなくてはならなかったのだ。

プロフィール

甘糟 りり子(あまかす・りりこ)

作家
1964年横浜生まれ。3歳から鎌倉在住。
都市に生きる男女と彼らを取り巻く文化をリアルに写した小説やコラムに定評がある。
近著の『産む、産まない、産めない』は版を重ねるほどに話題に。
そのほか『産まなくても、産めなくても』など現代の女性が直面する岐路についての本や、食に関する『東京のレストラン―目的別逆引き事典』、鎌倉暮らしや家族のことを綴ったエッセイ『鎌倉の家』など、著書多数。

公式ブログ:https://ameblo.jp/ririko-amakasu/

Twitter:https://twitter.com/ririkong/

note:https://note.com/ririkong

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Text:甘糟りり子

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