Creativity 2019.08.06

時計を越えた価値を与えてくれる存在

様々なメンズ媒体紙でも活躍する時計ジャーナリストの並木浩一氏が語る腕時計の真の魅力とは。

時計を語る側になった原体験

「それはですね、世界的に有名な時計職人も同じ体験を語るのです」
腕時計に興味を持ったきっかけをたずねたら、深呼吸するように背筋を伸ばしたあと、やや前屈みになって話し始めた。

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▲並木浩一氏

「誰もが幼い頃、家にあった時計を分解したというのです。中には長い間止まっていた時計を直した方もいて、そんな才能の持ち主が名だたる職人になるようです。もちろん自分も子供の頃にバラしました。が、元通りにすることはできなかった。だから私は時計を語る側の人間になったのでしょう」

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並木浩一氏はそう言って相好を崩すのだった。キャリア26年の時計ジャーナリスト。雑誌やウェブへの寄稿だけでなく、テレビやラジオ、講演などでも活躍中。また、時計業界の三大グループのひとつ、スウォッチグループが開催した世界のジャーナリスト150名限定の発表会にも招待された実績を持つ。しかし、時計以外ではちょっと不思議な経歴を有する方だ。

スイスの見本市から始まった時計ジャーナリスト

お会いしたのは、教授/博士の肩書で籍を置く桐蔭横浜大学のキャンパス内。青山学院大学仏文科を経て出版界のダイヤモンド社に就職。2誌の編集長を務める傍ら、社会人の入試や資格取得の指南、ハワイ移住の方法、子供の名付け方に至るまで、見方によっては取り留めなく多岐に渡る研究を行い、その成果を様々な形で発表してきた。ご本人によれば、「何事も徹底的に調べずにはいられない性分」らしく、以上は並木氏にとってオンビジネスに属するものだという。では、腕時計は?

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「あれは32歳になった1993年です。私の時計好きを知っていた方に、毎年スイスで開催されている時計見本市に行ってみないかと声をかけられました。スイスと言えば大好きなクロノグラフ、つまり機械式時計の本家本元ですから、お誘いを断る理由はどこにもなかった」

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▲昨年のバーゼルワ―ルドの様子

そうして並木氏はスケジュールをやり繰りして彼の地に飛んだ。約10日間で二つの見本市を体験するために。「刺激的でした。90年代初めのスイス時計業界は、70年代に世界を席捲したクォーツ時計で激しく衰退した後、自国製品が再評価され始めた時期なのです。その勢いと活気を肌で感じられたのは本当にうれしかった。ただし帰国後は休日をすべて潰して執筆。でも、書くのは苦痛ではなかった。何しろ趣味の極致でしたから。そんなオフビジネスが今もって続くとは思いませんでしたけれど」

時計大国の筋の通し方

並木氏には、スイス製腕時計に関するこんな原体験がある。アンティークを求めていた学生時代、自分の生まれ年に製造されたオメガ(OMEGA)『シーマスター デ・ヴィル』と出会った。だが、当時の趣味だったジェットスキーの最中に外すのを忘れ、防水機能が低下していた時計内部に海水が入り沈黙。専門店を通じて修理を依頼した。

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▲『シーマスター デ・ヴィル』の後継にあたる『デ・ヴィル トレゾア』700,000円(+tax)
(写真協力:オメガ)

「スイス本国に送るというんですよ。そこまで責任を持って直すという徹底したアフターサービスが成立していた事実に心底驚きました。あれは時計好きにとって強烈なイニシエーションになりました」
この話には後日談がある。時計ジャーナリストになってからスイスに訪れた際、彼の地の時計に対する「筋の通し方」に再び驚嘆したという。

「IWCという老舗メーカーは、創業以来すべての時計の部品を保管しているんです。しかも火事でも焼けない大きな金庫の中に。時計産業が盛んなラ・ショー・ド・フォンという町にある国際時計博物館には、あらゆる時計の修理が可能とされる修復センターが備わっています。恐ろしい国だと思いました。クォーツの台頭で一時期は何万人もの失業者を出したのに、時計をあきらめることは決してしなかった。肝の座り方が違いますよね」

後世に伝えるべき逸品

ここで、事前に依頼しておいた並木氏のフェイバリットウォッチを披露してもらおう。まずは、1775年にパリで創業したブレゲ(BREGUET)。自動巻など幾多の革新的機構を発明したことで、マリー・アントワネットといった歴史的人物が顧客リストに名を連ねる老舗高級ブランドだが、並木氏はまた別の理由で惹かれたそうだ。

「ブレゲ一族は、ダッソーという戦闘機も製造する航空機会社を経営していました。で、爆撃機にはクロノグラフが必要なのです。そこにブレゲの技術が生かされた。今日持ってきたのは、戦闘機のコクピットに備わっていた実物です。おかげで飛行機にも興味が沸いてしまいました」

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▲戦闘機のコクピットに備わっていた実物

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▲コックピットクロックや、同じくフランス海軍航空部隊に納品されたパイロットウォッチの後継になる現行の腕時計、ブレゲ(BREGUET)『TYPE XXI 3817』1,500,000円(+tax)
(写真協力:スウォッチグループジャパン株式会社 ブレゲ事業本部)

もうひとつもスイス発のミネルバ(Minerva)。1858年創業の伝統的機械時計ブランドで、並木氏は幾本かのアンティークを持っているという。しかし、こちらもまた腕時計以外の部分に心を寄せている。
「コレクター気質は薄いほうなのですが、ミネルバのストップウォッチに関してはコレクションをお見せしたくて持ってきました」。そう言って机の上に広げられた数にまず驚いた。

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『モンブラン 1858 オートマティック クロノグラフ リミテッドエディション1858』565,000円(+tax)
(写真協力:リシュモンジャパン株式会社)

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▲『モンブラン 1858 オートマティック リミテッドエディション1858』336,000円(+tax)
(写真協力:リシュモンジャパン株式会社)

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▲ミネルバ ストップウォッチコレクションの数々

「ここが凄いのは、ひとつの用途に1種類のモデルを用意することなのです。アメリカ三大ネットワークが採用したテレビのタイムキーパー専用モデルや、クルマのラリー競技用。地図上の距離を計測するものもありました。100分の1秒を計れる機種はギネスブックに掲載……。合理化の発想がないんでしょうね。ただしアナログ式のストップウォッチはクォーツではつくりにくかったので、スイスの時計産業が下火になった時代でも生き残ることができた。現在はデジタル全盛で、ミネルバ自体も万年筆で有名なモンブラン(Montblanc)に吸収されましたが、このストップウォッチは後世に伝えるべき逸品です」

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▲クルマのラリー競技用(写真左)、地図上の距離を計測するもの(写真右)

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今回の取材でもっとも熱量が高かったのがミネルバ解説だったが、それはまた別の機会に。並木氏がつぶやいた言葉でこの話題を締めたい。
「ストップウォッチを腕につけるブームが来ないかなあ」

言ってみればひねくれたフェティシズム

最終章では、クロノグラフを愛する時計ジャーナリストにいくつかの質問を投げかけた。まずは、腕時計自体の存在意義。平たく言えば魅力の本質だ。「時計好きで知られた歌手のセルジュ・ゲインズブールや芸術家のアンディ・ウォーホルの腕時計は、いつも止まっていたそうです」
それでは時計の意味がないのでは?

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「二人が頓着しない性格だったこともあるでしょうが、彼らにとって腕時計は時を見るための道具ではなかった。要するに時計好きは、腕時計を身につけることが好きなのです。究極のパラドックスを語るようですが、精緻なクロノグラフの機能には意味があっても、それを正しく使うことには意味がない。あるいは、正確な時間を知るためだけなら極めて誤差が小さい電波時計を1本持てばいい。またはスマホで十分。にもかかわらず新作のクロノグラフがつくられるのは、言ってみればひねくれたフェティシズムによるものです。それは人間の本能を刺激するので、文化の域にまで昇華されるのです。私は、腕時計を見るしぐさは男女問わずセクシーだと思いますよ」
続いてもう一問。日常的に腕時計をしない理由に、ブランドのヒエラルキーが注目される苦痛を挙げる者がいるが、その点はどうお考えだろうか。

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「私が考える高級とは、それを身につけることで自分の気持ちが強くなることです。見せびらかすためというのは美学に反しますね。たとえば、アルファ ロメオの最新モデルを買った男が女性を口説く場面では、アルファ ロメオのアの字も出してはならない。デートに誘えたなら、そのときにアルファ ロメオで迎えに行く。そういうものではありませんか? 他人の価値観や値段が優先したら、モノを愛する心が失われる。時計好きにとって腕時計とは、時計を越えた価値を与えてくれる存在という他にありません」

最後に時計の未来をたずねた。スマートウォッチの隆盛など新しいテクノロジーの台頭について、そこはジャーナリストらしい冷静な考えを述べてくれた。
「スマートウォッチの類は時代の求めに応じたものですから、否定するどころかかわいいアイテムとして受け入れるべきものだと思っています。中でもHUBLOT(ウブロ)は、ゴールラインテクノロジーと連動するシステムをFIFA(国際サッカー連盟)と共同開発し、スタジアムの観客に判定結果を伝える機能をスマートウォッチに盛り込みました。そうした従来の時計では不可能だった機能を採用できる点で、今後さらに発展するでしょう。ただ、よりウェアラブルなスマートウォッチが出てくるかと思ったのですが、意外にも腕時計型が多いですよね。その理由は……」と、並木氏はそこでいったん間を取り、口元に笑みを浮かべてこう言った。
「腕に装着する優位性を超えて、やはり手首を眺める姿のセクシーさを捨てたくなかったのではないでしょうか。腕時計好きとしては、そんなふうに考えますよ」

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Text:田村 十七男
Photos:大石 隼土

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